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アメリカサッカー留学ブログ第一弾!留学の経緯について | アメリカサッカー留学奮闘記

アメリカサッカー留学ブログ第一弾!留学の経緯について

みなさん、こんにちは。

新年を迎え、ますます冷え込む季節となってしました。私の住むコロラド州では最低気温-20℃以下まで下がり、今まで経験したことのない寒さを感じています。寒いというより痛い。

私は現在、アメリカでサッカー留学をしているもずくと言います。

今年で21歳になる代ですが、日本の大学に一年通ってからアメリカに渡米したため、現在は大学2年生(Sophmore)としてアメリカの短期大学に通っています。

新しい年を迎え、何か新しいことを始めようと、現在アメリカに留学していて感じたことなどを色々と書いていくことを決意しました。

これからは、私が留学中に感じたことや実際に経験したことをもとに、このブログでさまざまな人の助けになるような記事を書いていければと思っています。

 

この記事では私の記念すべき初めてのブログということで、簡単な自己紹介と共に、留学をするに至った経緯を説明していきたいと思います。

ぜひ最後まで読んでいってください!

 

高校時代

小学校から今まで、約15年間サッカー一筋で生きてきた私は、ありがたいことに高校にはサッカー推薦をもらい入学しました。

入学した高校は県内でも常にベスト4に進出するようないわゆる強豪校で、県内外からさまざまな有力選手が集まってきていました。

私はそれほど大きな期待を受けて入学したわけでもなく、

 

「3年間試合に関われるかどうかはわからないけれど、一緒に頑張っていこう!!」

 

と入学時に監督から言われていました。

今考えると、なかなか厳しい状況からのスタートだったなと思います。笑

よく頑張った、当時の自分!!

 

とはいえ、全国出場を狙い行くような強豪校。もちろん一年目は試合に関わることはできず終わりました。

この時は大学で海外に行くことなど全く考えておらず、ただその時を生きるのに必死でした。

 

二年目はトップチームでの活動に参加する機会が増えてきましたが、結局公式戦でベンチ入りすることはできず、試合に絡むこともできずに終わりました。

 

そして、迎えた三年目。高校ラストシーズンで一花咲かせようと思っていた矢先、コロナの流行が始まりました。

学校は約半年間休校、もちろん部活の活動もなし。

新シーズンが始まり試合に出場することはできるようになったものの、インターハイもなくなり、選手権も無観客試合となり、高校最後のシーズンは不完全燃焼で終えることになりました。

高校まででサッカーを辞める予定で考えていましたが、高校最後のシーズンを不完全燃焼で終えてしまったためどうしても諦めきれず、大学でもサッカーを続けることを決断しました。

この時、サッカー部の同期がアメリカへサッカー留学に行きことを決断していました。私も興味はありましたが、断固とした決意が固まらず、アメリカではなく日本の大学への進学を決めました。

 

日本の大学時代

大学でサッカーをする選択をしましたが、三年生にとっての大きなアピールの場であるインターハイがなくなってしまい、それまで大きな実績もなかったため、サッカー推薦での進学は難しい状況でした。

ですが、学校の成績は割と取れていたため指定校推薦で全国でも知名度のある、東京の大学へ進学できることになりました。

この時はとにかくその大学に入るために指定校を選んだので、学部はそこまで重要視していませんでした。

しかし、これが運命の分かれ道、、

これから先、私は大きな苦労をすることになります。

 

 

大学生になってからも、高校と同じような体育会サッカー部に所属していました。

サッカー部の練習が朝練だったのもあり、朝はほぼ始発で練習に行っていたため、世間で言われるような大学生とはかけ離れた、超健康的な生活を送っていました。

さらに、通っていた学部が理系の学部であったため、週に3日は最後まで実験を行なっていました。

 

そして悲劇はここから始まります。

高校時代に適当に選んだ学部の授業内容が自分の苦手な分野で、チンプンカンプン。

大学内でも一番を争う過酷な学科だったので、課題の量、授業の難易度は他の学部と比べてもなかなか過酷なものでした。

サッカー部内にも同じ学科の人がほとんどいなかったため、泣きながら、課題、テスト勉強をしていました。笑

そしてなんとか地獄の試験を乗り切り、前期の授業を終えました。

 

この頃から少しずつ本気で留学へ行くことについて考え始めました。

授業が大変で嫌になったからという理由では断じてありません!!笑

 

 

夏休みに入り、ふと自分の将来について考えたときに、

 

このまま日本の大学を卒業して就職をする、

そんな道を進んで果たして自分は満足のいく人生を歩むことができるのか。

 

と考えるようになりました。

父が大学時代をアメリカで過ごしていたこともあり、一度は海外に出たほうがいい、と昔から言われていました。

今までは、自分が海外で生活していけるわけがない。と考えていましたが、やはり

 

変わるなら今しかない。

 

そう思いアメリカへの留学を決断しました。

 

退学、そしてアメリカへ

留学を決めてから、まずは自分で色々な留学会社に連絡を取り、情報を集めました。

アメリカのサッカー留学の存在はもちろん知っていましたが、サッカーを続ける気はなく、最初は治安が比較的安全で、過ごしやすいとされているカナダへの留学を考えていました。

しかし、留学を目指す上で最も大きな壁は費用

ましてや正規留学となると、莫大な費用が必要となります。

 

そこで考えたのアメリカのサッカー留学でした。

 

そこから、英語の勉強、編入先の学校探し、などなど着々と準備は進み、

一年目の終わりに大学に退学届を提出しました。

 

この時に迷いなどは一切なく、これからのことで期待ばかりでした。

 

そして、今、アメリカの大学生としてなんとかやっています。

この2年間は留学前に思い描いていた理想通りとはいかず、苦しい時間が多かったですが、その中でもいろんな友達に恵まれて楽しく過ごしています。

 

もうすぐこの留学生活も折り返し地点を迎えようとしていますが、これからさらに成長できるように頑張っていきたいと思います!!

そして、このブログでもみなさんの役に立つような記事を書いていきたいです。

 

 

それではまた次の記事でお会いしましょう!

 

 

 

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